浄 (Jō)

廣川政樹 / Masaki Hirokawa

九條錫杖(くじょうしゃくじょう) 故我稽首 執持錫杖 供養三宝 故我稽首 執持錫杖 供養三宝 南無恭敬供養三尊界会 恭敬供養顕密聖教 哀愍攝受護持弟子 故に我は礼拝(五体投地)をし、錫杖を持って修行し、仏・法・僧を供養します。 故に我は礼拝(五体投地)をし、錫杖を持って修行し、仏・法・僧を供養します。 謹み敬い、供養し、三尊界の法会に帰依します。 顕教・密教の真実の教えを敬い、供養をします。 仏の弟子(僧侶)は慈悲によって衆生を救う心を保つでしょう。

廣川政樹

Masaki Hirokawa

廣川政樹は日本のグラフィックアーティスト。世界各地での展示や数々の国際デザインアワード受賞歴を持ち、美術年鑑や専門誌への作品寄稿も行っている。

Masaki Hirokawa is a Japanese graphic artist with a history of exhibitions worldwide and numerous international design award wins. He contributes his works to art yearbooks and specialized magazines.

静寂に凍る光

Astaroth

この作品の人物の目から感じ取れるのは、哀しさや寂しさなどのネガティブな感情ではなく、永劫不変の強さであるということです。人の心には自己防衛本能があり、変化というものをとにかく拒み、ストレスとして認識します。しかし私にとってそれらの変化は良き兆しであるとしか感じ取れず、世界が痛みと共により高い次元へ上昇するプロセスにあるという確信がありました。そのような時は元の世界へ戻りたいという願望も同時に働くものですが、私は人間の適応力と逞しさを尊く思っています。現在も困難な世界情勢下ではありますが、より良い世界へ移行する時は、上昇と下降を繰り返しながら少しずつ昇って行くものです。どうか後ろへ押し戻す力に負けず、新しい世界へ歩みを進めて行っていただきたい、そのような気持ちがこの作品に込められています。私は人間の持つ強さと、平和で祝福に溢れた未来の到来を信じています。

静謐な世界

Uriel

この作品は静謐な世界が人々の元に訪れるよう祈念し制作されました。世界は大きく形を変えながら生まれ変わろうとし、その激しいうねりの中で様々な文化、商業、流通、そしてかけがえのない数多の命が失われました。この作品から感じ取れるのは、哀しみと祈り、慈しみの心、そして希望です。

忘却の眺め

Forgotten Sky

現代の子供たちは、マスク越しに相手の感情を読み取るしか術がありません。そのため相手の目を見て感じることや、相手の身体全体から伝わって来るフィーリング、それらを基にコミュニケーションを試みます。この作品は、早く青空の元で子供たちの笑顔が見られますようにという祈りを込めて制作されました。その青空はもう思い出の彼方にあるのだろうと知りながら。

元型

Archetypus

この作品では「原型への回帰と反復」というテーマに沿って、鳥の仮面を被った女性を繰り返し複製しています。これは人間の持つ熾烈な願望を表現しています。狂気を支える論理がアート作品または人類の文明には必要不可欠であり、作家にとって論理は感覚を抑える手段に過ぎないため、両者の共存が合わせ鏡のような反復を生むことになります。そこには終焉がなく、ただ入れ子構造になった世界がループしているのみです。人類の歴史や文化、戦争、紛争、そして宇宙もこのようにして構築されて来たのではないでしょうか。

涅槃像

Reclining Buddha

私の生まれたところは、きっと創造の海と見紛うほど美しかっただろう。私の往くところは、還るところは。もうあの唄も聞こえず、懐かしいあの声すら思い出せない。いつかこの魂を涅槃へ届ける。空高く立ち昇る夜半の煙とともに。

啓示

The World in a Birdcage

この作品に登場する白い鳩は高次元の存在からの啓示を表している。この地球に生まれた全ての人々は、それぞれに大切な役割を担い誕生しました。その役割を果たすこと、或いはその役割に気づくことは、おそらく多くの人々にとって生きる喜びであるはずです。例え希望を失ったとしても、その出来事には意味があり、神の愛があり、全ての人々には必ず救いと導きがあります。

新世界

A Regenerated World

この作品は新しく到来する時代への希望を込めて制作されました。世界は凄まじいスピードで表情を変えながら進化を遂げようとしており、その過程と結果には様々な側面が垣間見えます。新しい時代への不安や戸惑い、期待、そして安息。それら全ての想いがこの平面のデザインに込められています。

地湧の手

Bodhisattvas of the Earth

世界がコロナ禍に入った時、街中からあらゆる悲しい想念が流れ込んで来ました。神社からは柄杓がなくなり、スーパーの棚は空になりました。世界は新しく生まれ変わろうとしていました。アートがそのような世界で持つ役割は何か悩み、考え続け、大きな世界のうねりより受けた想念を濾過するように、無心で作品に投影し続けました。そして最後に残ったのは「祈り」でした。

悼む

Condolences

この作品は、世界中の方々の心を悼む想いから制作されました。感染症で亡くなられた方々のご遺族の哀しみはとても計り知れません。しかし私は、全ての方々は天寿を全うされ、極楽へ召されたのだと信じています。亡くなられた方々は、きっとご遺族の方々のことをとても心配して居られます。本当に悼むべきは遺された方々の心であり、成仏しなければならないのはこの世界で生き続けなければならない方々の苦悩です。極楽は常住の国であり、この世は不定、つまり変わらぬものなど何一つありません。神は人々の魂が大切なことを学び得るためにこの世界を創造されました。天寿を全うされた方々は皆等しく神の愛に包まれ、大いなる魂の泉へ還られました。この世の全ての人々にも永遠の平安が約束されており、神はあなたがやがて帰る場所として、永劫不変に存在して居られます。

化身

Avatar

私たちあらゆる生命は、この世に生を受ける前にその魂の歩む道筋を決めて来ました。全ての存在が神の化身であり、分け御霊であり、そして全ての命は平等です。本来は誰もが全知の存在でありながら、私たちは魂の修練のため、この三次元世界のルールに則って生きなければなりません。もしあなたが試練に直面したならこう思い出してください。あなたは神と等しく、尊くかけがえのない存在です。

林檎が落ちた日

Eden

この作品は、世界を感染症が覆う直前の時期に制作されました。人々が神と呼ぶ高次元の存在は、このように人々を慈愛の心で見守っているのではないでしょうか。例え現在が困難な世界状況にあるとしても、それは世界がより良い形に生まれ変わるための痛みであり、神は決して人々を見放していません。その慈愛の心は、この先何千年と続く人類の長い歴史の中でも、永劫普遍のものであると信じています。

Distance

私達が「心」と呼んでいるものは、本当に真の心なのでしょうか。自我を守るために機能する「精神」という檻に過ぎないのではないでしょうか。

現在はマスクを着けて人との距離を置く「分離」の段階であり、同時に密閉空間も開放されつつある複雑な状況です。しかし閉塞すれば広く放たれ、分離すればやがて必ず結合するものです。

毎日発表される世界中の亡くなられた方々の数を見るだけで本当に胸が痛みます。しかし全てはより良き世界へ変化を遂げるために起きている現象であり、後から現在を振り返った時に、それらも大切なプロセスであったと思える日が来ると信じて止みません。

愛は常に我を超えた処にあります。

平和

The Justice of Equality

この作品の邦題は「平和」であり、そのタイトル通り平和への願いを込めて制作されました。全ての人々は平等であり、全ての存在に価値があります。生まれた国や言葉、肌の色、貧富の差に関係なく、全ての人々は尊くかけがえのない命を持っています。偉大な学者も罪人も、善人も悪人も、皆等しく神から祝福され生まれて来たのです。この世界には、無駄に失われる命など一つもないのです。

半妖

Hanyō

聖と魔の混合した血を持つ存在には、神からの試練が多く齎されます。この世に善悪も正邪もなく、陰と陽の力がお互いに均衡を保ち合うことで宇宙は存続しています。しかし人間は己の正義や信仰のために、武器を手に取り争い合います。誠に哀しいことながら、それは仕方のないことであり、そこに理屈が介入する余地はなく、在るのはただ何世紀も続く文化と伝統なのです。もし己の中に相反する力と作用があり、いわゆる両極性反応に葛藤し続けるならば、それは克服すべき神からの課題に他なりません。正反対の性質を持つもの同士が融合し調和し得れば、己の中の苦悩も消え、世界からも争いはなくなるでしょう。

視線

Glance

この作品は社会に於ける人間の深層心理の具現化を試みて制作されました。全ての人々の瞳には魂が宿っており、自分自身を含むあらゆる人々の今生や過去生を知覚し、見抜く力が備わっています。全ての物事は「知る」のではなく「思い出す」のです。

人同士の出逢いには順縁と逆縁があり、対象となる相手が今生に於いて良縁であろうと、そのタイミングによって良し悪しは変化するでしょう。一見仲の良い友人同士でも、無意識下の世界では運命の調整のため常に駆け引きが行われており、お互いの魂がより学びの多い道筋へ向かうよう、時と状況により関係性は変化します。

この作品に表現されている幾つもの瞳は、人々に恐怖を与えることもあれば、慈愛の心を感じ取らせることもあるでしょう。どのような印象に映ったとしても、瞳は魂の鏡であり、全ては魂の成長という大目的のため、神の愛と図らいにより今が在るのです。

救世菩薩

Kuan Yin Bodhisattva

仏教の観世音菩薩へ人々の心の平安を祈念し制作された作品です。仏教は哲学も科学も超越した領域にあり、神仏は時空を超えて存在します。この作品には祈りが込められていると言い表すより、この世界へ菩薩の顕現を祈念し、純粋な願い一つから制作されました。

偽神

Archon

混沌とした世界情勢の中、国家や組織、或いは伝統の持つ役割が改めて問われつつあります。世の中には信じられるものを失い、自ら創り出した神のみを信じる人々も居るでしょう。彼らは偶像を崇拝し、愛で、家族や友人よりも身近なものとして捉えています。その信仰が偽りであることを知りながらも縋り、尚も愛し続ける心は、やがて偶像を具現化し魂をも吹き込むでしょう。それも人類の進化の形態の一つと言えるかもしれません。

盲信

Faith

七歳までは神のうちという言葉の通り、幼少期の話し相手は神様でした。恥ずかしながら大人になってからもさして変わりありません。神は善悪美醜を問わず全てを内包する愛です。愛とはエネルギーです。エネルギーは数量化できます。数はその正確さに於いて芸術です。つまり神は物質的な存在として至る処に点在します。この物質世界で生活するには、魂の在り処については暗黙の了解とし、便宜上の現実でゲームを続けなければなりません。しかし皆のうちに神は内在しており、皆等しく神の目であり耳です。神から分かたれた存在です。人の間に上下も優劣もなく、各々が一つで価値のある存在です。もし周りの現実が歪んで見えたり、今がどんなに孤独で辛くあったとしても、誰もが祝福されて生まれて来たのです。

知恵の実

Gnosticism

人類にとっての『知恵』とは何なのか。それは人類に何をもたらしただろうか。貪欲に文明を発達させることは果たして人類にとって進化と言えるのだろうか。そのような疑問を懐きながらも、この星に存在した痕跡を残すことは我々の熾烈な願望である。

虚数の夢

Imaginary Dream

私達の目に映る「現実」と思われる世界は、実像ではなく虚像であり、その境目にこそ神秘や美が潜むという思想がこの作品に込められています。過去の哲学者プラトンは、人間は洞窟の中に閉じ込められた囚人であり、洞窟に差し込む太陽の光がイデアの世界の影を壁に映し出し、それを現実と錯覚していると述べています。しかし大切なのは真実ではなく、人々が持つ希望であり、生きる喜びであり、そして悲しみや愚かさでさえも、神は愛をもって平等に人々を包み込んでくださっています。

ある情景

Inside Of Me

この作品の議題として挙げられるのは、自己表現と他者表現の境界線に潜む葛藤である。当初は女性の顔に骨と花のモチーフが混合した自画像的な作品として制作が進められていたが、結局は純粋なインスピレーションに基づく他者表現と成り果てた。

女性の顔の周りには平和の象徴である鳩が飛び交っており、邦題は「ある情景」である。この作品が制作された当時の世界には、まだコロナも戦争も存在せず、それを思えばこの完成形の方が作品としての訴求力はあったのかもしれない。

表層的世界に正邪の思惑が錯綜し、根源的世界のエネルギーも変容を続ける現在、まるで人類がどちらに歩みを進めるか見守られているように感じる。しかし赤子は泣いても笑っても可愛いものであり、神にとって人類は常に慈しみの対象であることに変わりはない。

この作品がせめて一つの小さな歴史の記録となり、そして新しい世界への祝福とならんことを祈る。

運命の肖像

Moirai

この作品はギリシア神話に描かれた運命の三女神をモチーフに制作されました。過去、現在、未来という人間の創り出した概念は幻であり、時間の流れは地続きではなく、断片的なものに過ぎません。

全ての人々は、この世界を幸福へ導くこと、そして何より自分自身が幸福になることを約束して生まれて来ました。時にはそれが信じられないかもしれません。神を恨むこともあるでしょう。それでもこの星にはいつも変わらず太陽の光が降り注ぎ、夜の暗がりは月が静かに照らし、この大地には有り余る富があります。

如何なる運命を辿ろうとも、私達の進む道はあまねく照らされ、その道のりで感じ得た幸福、あるいは苦悩でさえも、魂にとっては喜びなのです。全ての存在は大いなる恩恵のもと、神々の祝福を受け続けています。

水葬

Burial at Sea

死は創造であり、神との再会であり、瞬く間の神秘です。魂が記憶と共に命の原泉へ還った時、様々な存在の数多の記憶と混ざり合い、再び一滴の雫として生を受けるのです。その時、かつての人格は既になく、名も知らぬ誰かの魂の欠片となるでしょう。何千年、何万年、何億年後か、全ての輪廻転生を終えたら、皆等しく大いなる光の元へ迎えられます。そこにはきっと孤独もなければ苦悩もありません。困難な時もただ黙々と前だけを見据え歩みを進めていれば、いつか悠遠の涅槃に至ることができると、私はまだ信じています。

自己愛の變形

Narcissism

他者は自分の鏡であり、自分は他者の鏡です。自分が相手に抱いている感情は、相手が自分に対し抱いている感情であり、人間は無意識下で鋭敏にそれらを感じ取っています。あらゆるコミュニケーションの在り方が、この鏡の法則の上に成り立っているとするならば、他者を愛することは即ち、自己愛の變形であると言えるかもしれません。他者を愛するにはまず自分自身を愛し、愛せない自分自身をも赦さなければならず、その苦悩の果てにある愛こそが、全ての人々に与えられたギフトなのです。私たちは皆、生まれながらに全知の存在であったのですから。

失楽園

Ariel

この作品の白い羽根は平和の象徴であると同時に、穢れのない心を表現しています。この天使は昨今の世界情勢を悲しんでいるようにも見えますし、人々の心を慈しんでいるようにも見えます。これからの人類がどのような選択を取って行くか、一見試されているようではあります。しかし人類がどのような選択を取るにせよ、この天使は人々を慈愛の心で包み込むでしょう。

Grounding

人の潜在能力を開放する最善の方法は「グラウンディング」です。人の意識は放って置くとすぐに過去や未来へ飛びがちですが、「今」この時に意識を向けるだけで、本来の力を最大限に発揮できます。過去や未来など、時間の概念すら幻想であり、究極的には「今」この時しかありません。そこに全神経を集中することで、自らを雑念で洗脳する精神というエゴの檻から解き放つのです。よく用いられる「神を降ろす」という表現は、本来の自分に立ち帰るという一つの方式を示唆しているのかもしれません。人は天だけでなく大地の恩恵も常に受けており、その両方へ感謝することが大事であるという思いがこの作品に込められています。

Karma

人の業の深さに、日々学ぶことの多さに、自ら背負った重荷に耐え難きものを感じながらも、ただ足元の暗がりだけを見据え、一歩ずつ前へと歩を進めるのみ。

静粛

Quiet

『唱えよ、心は消え、魂は鎮まり、全ては此処にあり、全てを超えたものなり。
悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

般若心経 - 真言(現代語訳)

入滅

Entering Nirvana

誕生を喜ぶ声を、初めて二本の足で歩いた日を、初めて発した言葉、その祝福を、あなたは憶えているでしょうか。聖人も罪人も、皆平等に愛されて生まれて来たのです。この作品は、全ての存在への祝福と賛辞の心を込めて制作されました。

豊穣の春

Aprodite

春に雪が降った。それが記憶に残らないほど、春は足早に通り過ぎて行きました。今を耐え忍び、来年は良き春を迎えられますように。

雲海

Jophiel

権化

Avalokiteshvara

ふたり

Dioscuri

春の日に

On a spring day

新たに芽吹き始めた世界と、たった一つの生まれなかった命へ。

ヘシュカスムにおける神化の思想

Hesychasm

冀望

Pandora

孤独

Division

孤独とは生まれた時からそこにあり、当たり前のように生涯寄り添うものです。そもそも分離感なくして人は成り立ちません。しかし五感を手放し宇宙へ心を解き放った時、空(くう)と一つになりそれは消えます。神より分たれた個としての自分、喜怒哀楽から学び多き人生を送り、それらの記憶を天へお返しすることが私達に課せられた役割なのでしょう。ほんの一瞬のうちに感じることの許された心の平安、異なる存在同士の一体感。それこそが真実であり、苦悩は人の創り出した幻に過ぎません。

Midori

この作品は愛する人に捧げて制作されました。彼女の魂は気高く、泥の中に咲いても決して穢されることはありません。人は最愛の人を心の中で神格化します。しかし本来の姿はもっと想像の及ばないほど美しいのではないか。果たして自身の捉えている彼女の実像とは。人はともすると自画像を描くように最愛の人を描くのかもしれません。

偶像

Baphomet

双星

Amphiaster

極光

Aurora

カルミヌス

Carminus

金剛仏

Vajrayaksa

国同士で競い合うのをやめ手を取り合うことを、武器を一斉に廃棄することを、文明が平等と均衡と和平の賜物であると証明することを、お互いの存在を尊重し一切の恐れや疑いを手放すことを、そしてかけがえのない命を天秤から下ろすことを、せめてこの両の手を合わせ一心に祈ります。

光明

Seraphiel

世界に一筋の光明が差しますように。

祈り

Prayer

新しい時代が始まり、これから更に大きく世界は変化を遂げようとしています。自分にはそれがマイナスのことばかりであるとは思えません。現在は自分の内面と対話し、何を成すために生まれて来たのか、その答えを知る段階にあるのかもしれません。

人の力は本当にやるべきことにのみ発揮されます。才は誰のうちにもあり、それはその人固有のものではなく、使命のため貸し与えられたものです。その力を利己的な欲求ではなく他者の幸福のために使う時に初めて、道は拓けるものと思っています。

自分が何故この天の元に置かれているのか、昔からよく考えたものですが、まだ何も知らず、何も解っていません。ただこれまで色々な方に教えていただいたことや、培って来た経験を活かすべく、目の前の仕事に従事します。感謝と祈りを込めて。

希望

Hope

全ての人々の元へ希望の光が降り注ぎますように。

丹朱

Vermilion

薔薇苑

Crimson

眠り姫

Sleeping Beauty

雨の日

Rain

葬列

Causal Sets

この作品は量子力学と一般相対性理論の架け橋となり得る因果集合理論、そして東洋神秘思想よりインスピレーションを受け制作されました。

全ての出来事には原因と結果があり、それらの因果は同時に発生しています。過去、現在、未来の出来事は刹那のうちに繰り広げられており、時の流れも地続きなものではありません。

またそれぞれの存在は分離したセルに格納された構図と成っており、それは時に孤独と感じられながらも、例外なく、必然的に御縁は生まれ、皆が互いに関係し合うことでこの世界は成立しています。

故に神は余分なものなど何一つ創らず、私たちの誰か一人でも欠ければ、やがては因果の法則に準って、世界には大きな変化がもたらされます。全ての存在は唯一無二のかけがえのないものです。

そして忘れてはならないのは、私たちは星々の海に限りなく続く葬列の中に生きているということです。しかし泡飛沫のような夢まぼろしの世界に居ようと、今この時の一瞬一瞬を大切に生きなければなりません。人同士の御縁も一つ一つ大切にしなければなりません。

異界の嫁入り

Hera

寵愛

DOMINUS DIXIT AD ME

見えないものは見えないように、聞こえないものは聞こえないように、過保護なまでに守られている。これほど神の寵愛を受けた生物は人間以外に存在しないかもしれません。時に反抗しても必ず敗れ、最後は赦されるのです。

純真

Snow

「美」とは何だろうと分からなくなるまで、様々な思いを馳せながら闇雲に手を動かし続けます。不器用に足掻くだけ足掻いて、嵐のような想念の先にあるものは、色も音も消え失せた静寂な世界なのかもしれません。そこはきっと子供の頃に過ごした雪国のように真っ白で、とても美しいのだろうと思います。

飛天

Ascension

遠神恵贈

ALLELUIA

色は光の影

Colors are shades of light

Crow

宵の繭

Cocoon

白い鬼

Scars

救世光

VIRGO MARIA

戦場に咲く花

Nightingale

世界が平和でありますように。
言葉も理念も宗教もそれぞれが平等なものとして尊重されますように。
争いが慈悲と慈愛の心のもと無くなりますように。
人々の心に平安がもたらされますように。

夢想花

Dreaming

夢の間は少しだけあの世にお邪魔しているのだと聞いたことがあります。現実には時間と空間の概念がありますが、夢にはそれらの概念はありません。謂わば夢の世界が宇宙の正しい姿であり、荘子の『胡蝶の夢』の説話が思い出されます。また、近代科学には宇宙は思考から生まれたという説があります。私達が現実であると認識しているこの空間は、非常に曖昧な要素の上に成り立っており、現実と非現実の境界は極めて薄いと言えるでしょう。しかし常識と非常識の境目を常に意識しながら、双方の均衡を保つことが大切なのかもしれません。

福音

Gabriel

靜寂

Remiel

離魂病

Somnambulism

消失の君

Vanishing