番 洋

Hiroshi Ban

1943年7月25日生まれの石川県金沢市出身の日本人画家。
宮本三郎に師事し、警察官時代に襲撃されて失った視力のハンデを乗り越え、隻眼の画家として国内外で活躍し数々の賞を受賞。
独自の心象風景の表現など独創性のある表現空間が高い評価を得ている。昨今では、自身の作品を唯一無二のデジタル化NFTアートとして販売するなど、新たな分野に挑戦し続けている。

倖せエンゼル

Happiness Angel

愛妻、愛娘、愛犬。番は愛に囲まれている。
天使は、そうした愛するものすべてを象徴するモチーフと言えるだろう。
本作には、愛が光を受け、宙に浮かぶ幻想的な情景が描かれている。しかし、天使はたったひとりで、広大で抽象的な空間を旅しなければならない。人間が本質的に孤独を抱える生き物であるように。番の絵画は高い美意識によって支えられているが、単に美しく、癒しの効果があるだけではない。
人生の本当の姿が見え隠れするから、人は番の絵画に魅了されるのだ。

日の丸に富士「日本」

Hi Omaru I Fuji 「Japan」

日本を愛し続ける心。日の丸と富士山、どちらも日本の象徴である。

気高く、そびえ立つ富士の山に大和魂を感じさせ、華やかに照らす
日の丸は邪念を振り払い、神髄を表す。
大和魂を持ち、日本人たる神髄を持ち続けてほしい。
それと同時に優しさと可愛さが溢れる色彩もまた人を楽しませる。

誰よりも日本を愛し、大和魂を持つ「番 洋」だからこそ
描ける日本の心、【富士山】を感じていただきたい。

天使の舞

Tensi no Mai

感性が研ぎ澄まされた芸術家は、天使を感じられるらしい。

優れた芸術家にのみ与えられる、神の啓示とも言えるだろう。番もそのひとりで、自分を高める戦いをしながら、天使を感じている。若い頃は、思い通りにならない絵に苛立ちを覚えたこともある。

それでも描き続けた。未熟な自分を少しでも成長させたいと願う番は、禁欲的にキャンバスに向かい続けた。その成果は、ご覧の通りである。神と天使が番を祝福する様子がわかるだろう。

天地万物霊峰富士

油彩/アクリル/金箔/墨

抽象的な色彩と描線に加え、富士山という具体的なモチーフが描かれている。しかし抽象は具象、具象は抽象だ。何が描かれているのか、絵の表面だけに着目するのは正しくない。表面には見えない非言語の内面こそが重要だからだ。もともと本作には、仏と宇宙が描かれていた。仏を塗りつぶして、富士山が描かれたが、これにより宇宙と仏、富士がつながった。一度描いたものを塗りつぶす大胆な行動には、番がいかに自分の内面と戦い、絵画に挑んでいるかが現れている。

彷徨シリーズ「光と闇」

Houkou series「Light and darkness」

美しい天使が描かれた幻想的な絵画だが、ある者は光に包まれ、ある者は闇に引きずり込まれそうになっている。ここにあるのは、光と闇だ。縦に長い画面は、天国と地獄の架け橋だ。本作は彷徨シリーズのひとつであり、迷いや不安を感じられる。書画を彷彿とさせる墨は、心の悲鳴のようだ。しかしそれらと真っ向から向き合い、目の前にある障害をぶち壊そうとする迫力もある。画家の道を歩むのは、並大抵の苦労ではない。本作は番を祝福するとともに、運命を突き付けている。

天地神明

with everyone

金屏風

2022年11月23日から27日までの5日間で高野山無量光院で『皆と共に』展が開催される。
それを記念して、無量光院に寄贈し
親から子へ、孫へと繋ぐアートです。

カプリチオシリーズ「混沌」

Capriccio series「Konton」

アクリル、墨、金箔

番が作風を固定しないのは、あらゆる作品から刺激を受け、その都度、自分のものにしてきたからだ。
油絵や水墨画などジャンルにこだわらず、常に未踏の領域を開拓してきた。その集大成とも言えるシリーズが、本作を含む抽象画だ。古くから日本の絵画で用いられてきた泊と墨を使いながらも、生涯の主題である「カプリチオ」をダイナミックに歌い上げる。

ここまで来ても、番は自分に満足していない。自らの精神を高めるため、自分と闘い続ける。

カプリチオシリーズ「天地万物」

Capriccio series「Tentibanbutu」

「具象は抽象、抽象は具象」と番は語る。

本作は表面的には抽象画だが、風や光、宇宙といった現実でもあり、精神世界の光景でもある。円や描線があらゆる具象を象徴しているのだ。

ところである画壇では、美大出身の画家しかプロフェッショナルとして認められない。その理屈では、美大出身でなくしかも警察官を経た番は完全な素人ということになる。

しかし、素人に本作が描けようか。出自で絵の価値は決まらない。精神を磨くことが人間にとって最も重要だと思い知らされる。

赤富士(獅子神)

Akafuji (shishigami)

裸婦賛歌

Rafusanka

寝そべる裸婦、直立する裸婦、片手を掲げる裸婦と、奇妙だが印象に残る構図だ。寝そべる裸婦だけでは、画面が重くなってしまう。重心を引っ張り画面を軽くするため、モチーフの配置を工夫している。絵と対話しながら、すべてを決めていくのだ。また、画題や色彩、タッチには、恩師である宮本三郎氏の影響が見られる。宮本氏には「自分の絵を描きなさい」と助言された。それは番の唯一無二の作風「カプリチオ」の発見につながっていく。

彷徨

Houkou

ニース国際絵画・彫刻グランプリ展 南フランス州知事賞

誰しも、人生を模索する時期がある。それを作品として昇華し、未来に残すことができるのは、画家の特権かもしれない。本作は「さまよう」という題名からもわかるとおり、どん底の時期に描かれた。どう生きるのが良いのか、悩んでいた時期の作品だ。当時は、警察官時代の親友が絵を買って助けてくれたこともある。終わりがないように思える苦しみの中で、番は必死にもがいた。絵を描き続けた。その経験がなければ、今日の番はなかっただろう。

カプリチオシリーズ 綺想曲

第26回青枢点 特別賞

「綺想曲」と題された本作は、番の芸術を貫く「カプリチオ」そのものだ。
王様や馬車のようにかろうじて読み取れるモチーフはあるが、目で見たものを分解し、再構築する抽象の手腕が光る。具象と抽象のどちらでもない半抽象に、現実と夢想の狭間にあるかのような感覚を覚える作品だ。

200号もの大きな絵画で、モチーフを大きく描く大胆さと、細部に装飾を凝らす繊細さが同居している。気まぐれなカプリチオを奏でるように、番は視点すら自由自在に動かしてみせる。

カプリチオシリーズ「コンポジション」

Capriccio series「composition」


人生はバランスに尽きる。

絵画も同じだ。大まかには青、赤、黒、白で構成されているが、それぞれの面積と形は計算し尽くされている。白い部分さえ、余白ではなく意味のあるパーツなのだ。

絵は完成するまでわからない、と番は言う。彼にとっての計算とは、小さな要素の積み上げなのだろう。画面と向き合って試行錯誤を重ね、完璧なバランスを導き出す。それは知的な創作だ。絵画は勢いだけではいけないが、計画だけでもいけない。

人生のバランスと同様だ。

カプリチオシリーズ No.5

Capriccio series. No5

大量の色紙を敷き詰めた画面に、上から絵を描いて大きな5枚の絵画とした作品。

色紙のシリーズは東京にいた頃、小さなアトリエで始まった。
2000枚描けなかったら死ぬ、という番の覚悟が込められており、1点ずつでも成立する作品だ。
しかし本作では、色紙を大きな画面に再構成しただけでなく、上から塗りつぶすかのように着色した。なぜ生きるかを常に問い、内面を高める旅を続ける番だからこそ、過去に拘泥せず思い切った挑戦ができるのだ。

カプリチオシリーズ No.4

Capriccio series. No4

大量の色紙を敷き詰めた画面に、上から絵を描いて大きな5枚の絵画とした作品。

色紙のシリーズは東京にいた頃、小さなアトリエで始まった。
2000枚描けなかったら死ぬ、という番の覚悟が込められており、1点ずつでも成立する作品だ。
しかし本作では、色紙を大きな画面に再構成しただけでなく、上から塗りつぶすかのように着色した。なぜ生きるかを常に問い、内面を高める旅を続ける番だからこそ、過去に拘泥せず思い切った挑戦ができるのだ。

カプリチオシリーズ No.3

Capriccio series No.3

墨、水彩、アクリル、油彩、金箔

大量の色紙を敷き詰めた画面に、上から絵を描いて大きな5枚の絵画とした作品。

色紙のシリーズは東京にいた頃、小さなアトリエで始まった。
2000枚描けなかったら死ぬ、という番の覚悟が込められており、1点ずつでも成立する作品だ。
しかし本作では、色紙を大きな画面に再構成しただけでなく、上から塗りつぶすかのように着色した。なぜ生きるかを常に問い、内面を高める旅を続ける番だからこそ、過去に拘泥せず思い切った挑戦ができるのだ。

カプリチオシリーズ No.2

Capriccio series No.2

大量の色紙を敷き詰めた画面に、上から絵を描いて大きな5枚の絵画とした作品。

色紙のシリーズは東京にいた頃、小さなアトリエで始まった。
2000枚描けなかったら死ぬ、という番の覚悟が込められており、1点ずつでも成立する作品だ。
しかし本作では、色紙を大きな画面に再構成しただけでなく、上から塗りつぶすかのように着色した。なぜ生きるかを常に問い、内面を高める旅を続ける番だからこそ、過去に拘泥せず思い切った挑戦ができるのだ。

カプリチオシリーズ No.1

Capriccio series No.1

墨、水彩、アクリル、油彩、金箔

大量の色紙を敷き詰めた画面に、上から絵を描いて大きな5枚の絵画とした作品。

色紙のシリーズは東京にいた頃、小さなアトリエで始まった。
2000枚描けなかったら死ぬ、という番の覚悟が込められており、1点ずつでも成立する作品だ。
しかし本作では、色紙を大きな画面に再構成しただけでなく、上から塗りつぶすかのように着色した。なぜ生きるかを常に問い、内面を高める旅を続ける番だからこそ、過去に拘泥せず思い切った挑戦ができるのだ。

赤富士

Akafuji

大勢の画家たちが描いてきた伝統的な主題にこそ、画家の個性が表れる。「赤富士」もそのひとつだ。番が描いた赤富士には、太陽なのか月なのか、大きな円が寄り添っている。100号もの大きなキャンバスに、余計なものは描き込まず、必要なものだけを厳選して堂々と構成した。赤、青、黄色と、ともすれば喧嘩になってしまいそうな色彩だが、バランス良く調和しているところに、番の類まれな色彩感覚と構成力が見られる。

青富士

Aofuji

カプリチオシリーズ「混沌」

Capriccio series「Konton」

アクリル、墨地、金箔

全身のパワーを使い果たすように描かれた絵画だが、力任せでない緻密な計算も光る。
本作では、金箔を貼った上に絵具を塗り、重ねることによる効果を追求している。

泊に薄く絵具を重ねると、色彩は深まり、絵の内側から発光するかのような効果が生まれるのだ。実物と対峙すれば、鑑賞者はこの絶妙な色彩にハッとさせられる。そのとき、泊の美しさや絵具の美しさを自覚し、絵を見ることの本当の喜びを見出せるだろう。

カプリチオシリーズ「混沌」

Capriccio series「Konton」

アクリル、墨地、金箔 

自らの身体を覆い潰しそうなほど大きなキャンバスに、番は立ち向かう。

その仕事は、エリート然とした画家たちとは異なる。新聞紙を床に広げ、自分も絵具にまみれながら、全身を使って芸術にぶつかっていく。描き終わる頃には疲労困憊して、体に新聞紙が貼り付くことも気にせず、その場に寝転がる。これぞ芸術家の仕事と言えよう。

1枚1枚の作品に魂を込め、自分の全身全霊を出し切らなければ、わざわざ絵を描く意味などない。本作は、番のエネルギーを真向から伝える作品だ。

カプリチオシリーズ「陽光」

Capriccio series「youkou」

中心に黄金色のフォルムが見える。背後はふかぶかとした豊かな青の階調である。そこに白いフリーの曲線や直線が引かれることによって、ロマンティックなイメージがあらわれる。ドリッピングも使われている。アクションペインティングをかつてジャクソン・ポロックが行ったが、日本人である番は、同じ行為を繰り返しながら、雅びやかな王朝の世界にその夢を膨らませていくようだ。画家は自分自身のつかんだ空間の意識をこの平面の中に表現する。そして、空間の質を高めることによって芸術にする。それは書の世界とも共通するものがあるかもしれない。東洋の深い伝統の上に立った仕事だと思う。そして、ところどころ自分自身の落款を押した紙を貼っていて、天空に自分自身を放り投げている。いわゆる自意識との格闘ではなく、空間の中に自分自身を投下するといった思想にもなるだろう。その意味では禅的な世界もこの作品の取り入れられていると思う。

愛への模索

Ai eno Mosaku

人生は、愛する人を探す旅だ。本作の背景には、情熱的な愛のテーマがある。しかし、満ち足りた幸福だけが描かれているのではない。また、愛の素晴らしさを説教する絵画でもない。本作には、あたたかな愛と同時に冷たい哀しみも描かれている。画家の心の中にある、愛にまつわる葛藤が色彩を持って立ち現れているのだ。「絵は自分との戦い」という番の作風を象徴する作品であり、彼の精神世界が鮮やかに表現されている。

カプリチオシリーズ 天地創造

女神と天使の丁寧な描写と、世界を破壊するようなエネルギーが同居する、危ういバランスの絵画だ。コピーを作ることなど絶対にできない。

画家の類まれなる想像力と技量が、人智を超越する絵画を生んだ。まるで、宇宙が生まれる瞬間だ。

混沌の中央から、女神と天使が姿を現す。誰も見たことがない神秘的な一瞬の光景を、番は絵画に定着させた。女神が、天使が、番にこの絵を描かせた。ほかに説明のしようがない、未知のエネルギーを感じる作品だ。

倖せを運ぶ天使

Siawase Hakobu Tensi

ドン・キホーテ 狂想曲(3点連作)

Don Quixote Kyousoukyoku

受賞:第31回青枢展(於 東京都美術館) 青枢大賞グランプリ受賞作品

スペインを訪れ、その心に触れたことに着想を得た作品。
ドン・キホーテを両翼に配した三幅対だ。構成上、2人描く必要があったと番は語るが、それによってドン・キホーテという人物像が立体的に浮かび上がる効果が生まれている。

写真のように実物を描写するのではなく、人物の奥深くに入って内面を描こうとする、番の芸術観が投影されている。
山腹対としても、それぞれ独立した作品としても、鑑賞者に深い余韻を残す作品群だ。

カプリチオシリーズ「運命」 六曲屏風

Capriccio series「Destiny」

墨、アクリル、油彩、金箔

第34回青枢展(於 東京都美術館)文部科学大臣賞受賞作品

『歌うように、奏でるように』
カプリオシリーズは画家のライフワークといってよい。自身の感情を画面に一気呵成にぶつけ、描き上げる。掲出の作品は、金地を施した六曲の画面に、宇宙を思わせる世界が展開している。
透明感のある青を空間に漂わせ、そこにしろや水色でドリッピングしていく。そこにさらに金箔を貼り、朱の落款をいくつも押していく。また、左下方には一際明るい金色が輝きを放っている。星々が輝き、流れ、ある場所では新しい星が爆発と共に誕生する。そういった、遠い世界の出来事に馳せるロマンが、この作品の世界観を作り出しているようだ。

カプリチオシリーズ「春へ」

Capriccio Series「Harue」

墨、アクリル、油彩、金箔

空気は無色透明だが、番にはこのように見えているのかもしれない。
隻眼の画家は、我々が見落としているものをすくい上げる。本作は、温度や湿度に色を与えたかのような六曲屏風だ。

抽象的であり、遠近法などを使っているわけではないが、絵の中に空間をあることを意識させられる。主に寒色と余白で構成された画面だが、右下の赤い落款が全体を引き締め、完成度を高めている。落款ひとつを取っても、番の巧みな構成力が光る。